スリランカに来たきっかけは何ですか?

起業

このスリランカ情報局というホームページを通じて最近多くの方からご連絡を頂けるようになっており、私としてはスリランカの情報を発信してきて良かったなとしみじみ感じております。

現時点でこのウェブサイトには毎日150人前後の方からアクセスを頂きPVでいうと300PV程度です。まだまだ訪問数は少ないですが、誰かの役に立ってると思うと更新頻度は少なくなりましたが今後も続けて行きたいと思っています。

私に一度会って話を聞いてみたいと直接ご連絡くださる方も最近では月に2〜3回と着々と増えて来ています。

ご相談に来られる方の多くはスリランカで起業を考えている方です。事務所に来て頂くこともありますし、一緒に飲みに行くこともあります。

スリランカでの伝手がない方は結構私のサイトに行き着く方が多いのかもしれませんね。

私としてはコンサルタントが本業でもないので、起業家の方々が欲しい情報をお出しできてるかは疑問なんですけどそれでも聞いて良かったと言ってくださる方が多いです。ちなみに基本的にスリランカの愚痴になります。

そんな方々から絶対に聞かれるのは「スリランカに来たきっかけは何ですか?」

まあそりゃそうですよね。

私も相手の立場だったら聞きます。

ということでこの記事は私のプロフィール紹介を兼ねて、なぜここスリランカにいるのかを語ろうかなと思います。

私のプロフィール

名前は高橋です。

1985年生まれで東京出身です。東京のどちらですか?ってだいたい聞かれるので小田急線の千歳船橋って答えています。世田谷出身っていうと大体の方が「おー!いいところですね」って。もう「そうなんです。ボンボンなんです」って答えるしかなくなりますからね。

年齢もスリランカの起業家仲間では一番若く弄られ気味です。早く私より下の年齢の方が来て欲しいと切に願っているところです。

学生時代

大学のときに英語を勉強するためにNZに1年いたことがあります。ガタイの良さと毛深さは日本人離れしておりますが、純粋の日本人であり、スポーツを何かやっていたわけではありません。ただの食いしん坊です。

サングラスをかけていると台湾でもスリランカでも大抵「アメリカ人?」って聞かれます。ちなみにサングラスをとると韓国人?って聞かれます。だからサングラスは外せないのです。

サラリーマン時代

1部上場の半導体専門商社で8時から終電まで2年間毎日働いていました。仕事内容自体は好きでしたしブラックだとは不思議と思ったことはなかったんですが、社内接待がめんどくさいのと、上司の給料を見てしまい、辞めることを決意しました。

介護時代

会社を辞めた後は暫く末期癌の父親の介護をしていました。もう台湾へ行く決意は固めてたんですが、母一人での介護は精神的にツラいから死ぬまで残っててくれと言われ、承諾。どんどん元気がなくなっていく父の姿をみていると早くお迎え来てくれればいいのになと本気で願う日々でした。

その間結構時間を持て余していたので、職業訓練所の日本語教師養成講座に通い、日本語教師の資格?を取得したのです。日本語教師になるつもりは特になかったんですが海外で生きていくために一応勉強しておくかなって軽い気持ちです。

台湾時代

父が他界し、台湾の台南へ渡りました。最初の10ヶ月間は中国語の勉強のため大学へ通いました。いやー楽しかったですね。仕事する気も失せましたけどね。大学で信頼できる日本人と知り合い、まもなく一緒に起業します。

最初の事業は言語交流カフェという、日本人と台湾人がお互いに言語を教え合うというカフェスペースを作りました。

初めの3ヶ月は全くお客さん来なくて辛かったですね〜。週2回開催の言語交換会は大好評だったんですけどね。

そんな我々にも転機が訪れ、一時期は超繁盛店になり、台湾のメディアにも何回か出演したことがあります。

言語交流✕カフェというコンセプトがウケたんでしょう!

その時の動画がこちら

こちらは40分番組

Webのニュースや新聞にもインタビューを受けたこともあります。

台灣光華雜誌

今周刊

他にもなんか、いろいろありましたが探しきれないのでこのくらいで!

台湾でのビジネスのHP、FBページ

TIL space FB 

TIL space HP

カフェ事業をベースに台湾の留学生を日本へ送るという留学事業も運営していましたがカフェの方の事業は混雑しても、客が来なくても大変でしたので2年で辞め、宿泊事業に変更しました。宿泊事業もいろいろあり、結局言語交流スペースと留学をメインに今も運営中です。

スリランカへ

ここからが私がスリランカに住んでいる理由なんですが、もともと中小企業の社長さんたちがスリランカへビジネス視察へ訪れた際に焼却炉の火力発電の案件が決まりそうと盛り上がっちゃったからなんです。

その中小企業の社長の集まりに私の従兄弟も参加しており、誰かスリランカに行って管理してくれないかなーってことで、私に白羽の矢が立ったわけです。なんで私かというと海外での実務経験と創業経験があり、中国語と英語が使えるという単純な理由だったと思います。

私は私でちょうど台湾のビジネスに行き詰まっており、新天地の開拓と聞き2年前の当時はワクワクしたのを覚えています。

台湾ではゼロ人脈からの事業立ち上げだったので、スリランカでの立ち上げは人脈は既にあるし、事業の立ち上げもスムーズに進むかなと!しかし実際来てみると政治的な問題で全然進まない……

ただ待ってるだけってのも暇だったので、このブログが始まったのです。そして台湾でやっていた留学ビジネスも開始することに至りました。

最近はスリランカで旅行会社も始めました。車の手配からホテルの予約、ツアーまで全部できます。オフィスを間借りしているんですが一緒に住んでいる台湾人のおじさんが日本市場の開拓を手伝って欲しいということでやっています。中国人団体を月300人程扱っているんで、ホテルを安く取れるんですよね。ブッキングドットコムとかアゴダよりは確実に安いですし、ツアーの価格を言うと皆さん安すぎて驚かれます。

車の手配はお任せを!
ツアー観光客より個人旅行者の方がスリランカは特に多く感じます。確かに他の国に比べると安全なので個人旅行も安心です。 またスリランカは安くて良いホテルが多いんで、ツアーだと自分の宿泊したいホテルが入ってなかったりなんてしますよね。個人旅...

奥さんは一緒じゃないんですか?

これもよく聞かれます。そうです。別居中というか単身赴任と言いますかなんと言いますか?妻は妻で自分の会社を持っている起業家なので、「私がスリランカに行って何するの?」って言われます。妻の会社はインテリアデザインとバッグを作る会社でして、悲しいかな、たぶん私より稼いでいるんではなかろうか?怖くて聞けません。

NUNONO STUDIO

まとめ

とまあここまでがスリランカに来るまでの私の経緯です。スリランカの生活は台湾での生活に比べるとかなり刺激的です。たまに目ん玉飛び出るくらいびっくりすることが起きますが、いろんな事に動じなくなる鋼の心を手に入れられます。

ほんとに毎日平穏ではないのですがそういった意味では楽しいのかもしれません。オススメできるかと言ったらしないですけど!

まともなアドバイスができるかどうかわかりませんが、知っていることならなるべく答えたいと思っているのでこんな私で良ければ気軽にご連絡頂ければと思います。

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